もくじ
はじめに
浮世絵は江戸時代に庶民を中心に盛り上がりました。この世界の片隅にという映画ですずさんという主人公が友人の求めに応じて描いた絵のように、浮世絵は庶民の人々の見たいものが描かれました。
すずさんの絵が友人の心を解放したように
浮世絵は庶民の人々の心を解放しました。その一方で江戸幕府に対する体制批判や風俗の乱れを封じるため規制をかける禁令が幕府より出される事態にもなりました。
江戸は庶民が絵を求めて、絵が力を持っており、絵で浮世を楽しんだ時代といえます。
浮世絵とは
「浮世絵」(うきよえ)とは、江戸時代に発達した色彩豊かな風俗画な絵画様式です。江戸時代の幕開けと共にその歴史は始まり、庶民層を中心に盛り上がりをみせました。
江戸時代までの絵画は公家、大名などの庇護による土佐派や狩野派が主で、風俗画も描かれていました。しかし承応年間頃(1654年)には衰退し、土佐派や狩野派から転身した者や庶民階級から出現した絵師が浮世絵の源流を形作り、庶民階級による風俗画が描かれるようになりました。
明暦の大火により江戸の町が焼き尽くされた後、町人の経済力は強くなり風俗画はその階級の気風の要求に応えるものに変化していきました。
岩佐又兵衛の工房による風俗画はそれまでの風俗画と浮世絵を繋ぐものです。
菱川師宣が風俗画を1枚の独立した絵画作品としたことが浮世絵の始祖と言われています。
浮世絵の「浮世」とは「憂世」で、浮かれて暮らすことを好んだ人々が「浮世」の字を当てたとされています。
浮世絵は、刀と同様、美術品としての価値が高いです。
題材は、大名や武家などの支配階級ではなく庶民町民階級からみた風俗が主であり多岐に及びます。
浮世絵の画題は、身近な人物、風景など当時の社会を描いたものから、美人、武将、生活や流行、遊女や役者、また源平合戦、戦国時代の三英傑などを描いた歴史画まで多様です。
初期には歌舞伎や遊郭などの享楽的歓楽的世界が描かれ、後に武者絵や風景画(名所絵)など数多くの題材に拡がりました。
浮世絵は流行や報道的な社会性を帯びているため、江戸幕府に対する体制批判や風俗の乱れを封じるため規制をかける禁令が幕府より出される事態にもなりました。
19世紀後半になるとパリ万博博覧会(1867)に浮世絵も正式出品され、ジャポニスムのきっかけにもなりフランスの印象派の画家たちに影響を与えました。
浮世絵と猫
江戸時代の人々も現在と同じように猫をペットとして可愛がっていました。
飼い主のそばでまどろむ猫、じゃれつく猫の姿を多く見つけることができます。
しかし浮世絵に描かれる猫は、愛らしいだけではありません。説話に登場する恐ろしい化け猫。人間のようにふるまい、踊ったり学校に通ったりする擬人化された猫などごあります。歌川国芳は、そんな猫愛でる浮世絵師の代表格です。家には常に十数匹の猫を飼っていたと言われています。
歌川広重は、百猫画譜で猫のさまざまなすがたを可愛く描いています。
月岡芳年は、猫好きの歌川国芳の門人であった師匠の影響を受けてか、可愛らしい猫の浮世絵をいくつも描きました。
2100年前、弥生時代からすでに日本には猫が存在していたという説があります。古代日本の猫は貯蔵していた穀物をネズミや昆虫から守る役割を果たしていたようです。
慶長7年(1602年)になると、ネズミによる害を減らすべく猫をつながずに放し飼いにするようお達しが出されます。
江戸時代初期までは猫の数が増えることはなく、依然としてその存在は貴重でありました。数少ない猫の代わりに、ネズミを駆除する力があるとして猫の絵が重宝されていたという史実もあります。
浮世の見られる絵美術館
東京国立博物館(東京・上野)
明治5(1872)年に開館した日本で最も歴史の長い博物館。本館2階(日本美術の流れ)の10室にて浮世絵の常設展示を行っています。
浮世絵以外にも、日本・東洋の文化財が展示されています。
見どころは、菱川師宣の「見返り美人図」です。
所蔵されている浮世絵の多くは個人の寄贈で、実業家・松方幸次郎の浮世絵コレクション約8,000点がその大半を占めています。
有名浮世絵師の作品をほぼ網羅していると言っても過言ではありませんが、常設されている展示作品数の中で浮世絵が占める割合はごくわずかです。
東京国立博物館 – Tokyo National Museum
江戸東京博物館(東京都・墨田区)
日本橋実寸大レプリカや、長屋など江戸の情緒と浮世絵が両方楽しめます。
浮世絵の所蔵数は少ないですが、定期的に浮世絵関連の展示を開催している他、歌川広重 ・喜多川歌麿 ・東洲斎写楽といった有名浮世絵師の作品を展示しています。
すみだ北斎美術館(東京・両国)
冨嶽三十六景 所蔵
葛飾北斎が生涯のほとんどを過ごしたと言われる東京都墨田区の区立美術館。
北斎の個人収集としては最高・最大の600点にも及ぶ、「ピーター・モース コレクション」と、日本浮世絵協会会長を務めたこともある古美術・浮世絵収集・研究の大家、楢崎宗重が寄贈した「楢崎宗重コレクション」から成ります。
北斎やその門人の作品を幅広く所蔵。
太田記念美術館(東京・原宿)
肉筆浮世絵・浮世絵版画を約14,000点所蔵。・肉筆浮世絵約500点、浮世絵版画約1万点、浮世絵関係の版本及び骨董品約200点、旧鴻池コレクションの扇面画約900点、浮世絵研究家・長瀬武郎から寄贈された肉筆画と版画約650点。
国内最大級の作品数で浮世絵の歴史を網羅した作品を多く取り揃えています。
太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art
川崎浮世絵ギャラリー(神奈川・川崎)
2016年に閉館した「川崎・砂子の里資料館」のコレクション約4,000点の中から、毎月さまざまなテーマを設けて浮世絵を展示する駅直結のギャラリー。
岡田美術館(神奈川・箱根)
箱根の小涌谷温泉にある美術館。北斎・歌麿の肉筆浮世絵など浮世絵のコレクション、喜多川歌麿作「深川の雪」など多くの国宝・重要文化財を所蔵。
藤沢市藤澤浮世絵館(神奈川・藤沢)
藤沢市が所蔵する浮世絵や郷土資料の展示施設。東海道の藤沢宿や江の島を描いた浮世絵を鑑賞できます。
千葉市美術館(千葉・千葉)
近世から近代の日本絵画と版画、現代美術、そして房総ゆかりの作品の3つを大きな柱とする同館の収蔵品約10,000点のハイライトを、いつ行っても観られます。常設展は約1ヶ月ごとに展示替えが行われます。
那珂川町馬頭広重美術館(栃木・那珂川)
栃木県那珂川町の馬頭温泉郷にある美術館。
歌川広重の肉筆画・版画を中心としたコレクション展示のほか、年に数回特別展を開催しています。
広重の作品を94点、うち肉筆画が40点以上という、国内有数の広重コレクション。
作品は浮世絵を収集していた関西の実業家・青木藤作の遺族によって那珂川町に寄贈され、それらの作品を展示するためにこの美術館が開設されました。
地元産の八溝杉の温かみを感じられる隈研吾氏設計のモダンな建物も見どころの一つ。
北斎館(長野・小布施)
北斎が肉筆画に熱を注いでいた晩年期に、度々訪れていた長野県小布施町の美術館。北斎が手がけた、東町祭屋台天井絵「龍図」「鳳凰図」、上町祭屋台天井絵「男浪図」「女浪図」「富士越龍図」を展示する施設です。北斎とその娘・葛飾応為の肉筆画や、北斎の門弟の作品などを展示しています。
静岡市東海道広重美術館(静岡・由比)
東海道由比宿の本陣跡地である由比本陣公園内に建つ美術館。平成6年に開館。
「東海道五十三次」をはじめとする広重の風景画の揃物を中心に、約1,400点を所蔵。
館内には「浮世絵の基礎知識」を学べるエリアや「版画摺り体験コーナー」が設置されていて、浮世絵をはじめとする江戸文化への理解を深めることができます。
貨幣・浮世絵ミュージアム(愛知・名古屋)
東海銀行(三菱UFJ銀行の前身である一行)が1961年に開室した貨幣展示室が2021年11月にリニューアル。
広重の風景画を中心とした約1,800点の浮世絵版画のコレクションを一般公開しています。
貨幣関係資料は常設展示、浮世絵版画は企画ごとに展示替えを行います。
中山道広重美術館(岐阜・恵那)
中山道の大井宿があった岐阜県恵那市の美術館。金曜日は入場無料です
歌川広重を中心に歌川国芳などの浮世絵約500点以上所蔵する美術館です。中山道の情景を表した「木曽海道六十九次之内」71図は毎年秋に鑑賞の機会が設けられています。
館内の「浮世絵ナビルーム」では、摺り体験ができるコーナーもあり、浮世絵について楽しく学ぶことができます。
コレクションの多くは、恵那市の実業家・田中春雄が木曽街道と歌川広重をテーマに約30年の歳月をかけて収集した「田中コレクション」で、見応えのある「木曽海道六拾九次之内」を中心に風景浮世絵の名品が揃っています。
和泉市久保惣記念美術館(大阪・和泉)
久保惣株式会社からの美術品等の寄贈を受け、1982年に開館した市立の美術館。
浮世絵版画は約6,000点にのぼります。
島根県立美術館(島根・松江)
宍道湖畔に建つ島根県立美術館は、美しい夕景でも知られ、3〜9月の閉館時刻を「日没後30分」に設定しているユニークな美術館。
故・菊竹清訓設計の渚をイメージした優美なフォルムの建築も魅力です。
浮世絵のコレクションは、松江出身の実業家・新庄二郎氏旧蔵品(新庄コレクション)と、津和野出身の北斎研究者・永田生慈氏旧蔵品(永田コレクション)の2大コレクションを中心とした、約3,000点。
山口県立萩美術館・浦上記念館(山口・萩)
歌川広重、葛飾北斎、歌川国芳と言った有名浮世絵師の作品約5,500点を所蔵しています。
世界に3作しか残っていないと言われている葛飾北斎作「風流無くてなゝくせ 遠眼鏡 」を所蔵。
古代から現代に至る日本・東洋のやきもののコレクションを二つの柱とする美術館。
施設内の茶室では現代美術家によるインスタレーション展示が試みられています。
浮世絵、東洋陶磁、陶芸の美術館 山口県立萩美術館・浦上記念館
石川県立美術館(石川県・金沢市)
国貞の浮世絵700点以上ある金沢の隠れアートスポットです。
地元の事業家から寄贈された2,224点もの浮世絵版画が所蔵されています。
そのコレクション内容は、歌川国貞754点、歌川国芳214点、歌川広重166点と充実の内容です。
河鍋暁斎記念美術館(埼玉県・蕨市)
埼玉県蕨市にあります。河鍋暁斎と彼の門人たちの作品を所蔵する美術館です。
1944年、強制疎開によって、埼玉県蕨市に居移していた暁斎の曾孫、河鍋楠美が自宅を改装して開館しました。
代々河鍋家に伝わる画稿、下絵など3000点余を所蔵している他、現在も暁斎作品の収集・研究を行っています。
TOP 河鍋暁斎記念美術館 Kawanabe Kyosai Memorial Museum
鎌倉国宝館(神奈川県・鎌倉市)
北斎・広重の肉筆浮世絵を多数所蔵
肉筆浮世絵の蒐集家・氏家武雄と鎌倉市が財団法人氏家浮世絵コレクションを館内に設立したことで、100点以上の肉筆浮世絵が鎌倉国宝館に所蔵されました。
日本浮世絵博物館(長野県・松本市)
長野県松本市にあります。
所蔵作品数は約10万点、うち肉筆浮世絵が約千点という日本でも有数の浮世絵博物館で、質・量ともに日本一。
コレクションの多くは、江戸時代松本の豪商だった酒井家5代200年にわたる「酒井コレクション」がメインとなっています。
作品の保存状態が良く、他館の浮世絵展へ頻繁に作品貸出を行っています。
細見美術館(京都府・京都市)
東洋の古美術品約1000点以上がコレクションされています。
関西でも一二を争う名コレクションをもち、多数の重要文化財・浮世絵、隠れた名品を持っています。
北斎の肉筆美人画の「夜鷹図」。最小にして最高の春画「袖の巻」です。
作品が公開される機会は少なく、他館へ貸出される場合もあります。
京都 細見美術館 The Hosomi Museum Kyoto
山梨県立博物館(山梨県 笛吹市)
冨嶽三十六景 所蔵。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp
MOA美術館(静岡 熱海)
葛飾北斎 冨嶽三十六景 所蔵。全図が揃う希少なコレクション。勝川春章の重要文化財「雪月花図」、「婦女風俗十二ヶ月図」など肉筆美人画と浮世絵版画を所蔵。
MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART | MOA MUSEUM OF ART
浮世絵の種類
浮世絵の表現技法は、大きく肉筆画と木版画のふたつがあります。
浮世絵は菱川師宣の肉筆画に始まり、鈴木春信らによる「錦絵」(錦絵とは、浮世絵の一部で、多版多色刷りの鮮やかな木版画のことです)へと発展していきました。
木版画とは、絵師が描いた絵を彫って木版で刷り上げた浮世絵のこと。
版面に凸面を持つ版を用いる凸版画の技法が用いられています。
木版をひとつ作れば、何百枚も同じ絵を刷ることができる画期的な技術で、日本には奈良時代に中国から伝来し、鎌倉時代・室町時代に仏画などに用いられてきました。それが、江戸時代に読本が流行したことで挿絵が描かれるようになり、浮世絵が急速に発展したのです。
木版画には、読本の挿絵として描かれた「版本挿絵」(はんぼんさしえ)と、独立した「一枚絵」(いちまいえ)があります。版本の場合は貸し出すことが出来ました。肉筆画は、高価な物ですが、この木版画の技術によって、一般庶民でも浮世絵を安価に購入できるようになりました。庶民に広まった背景として、大量生産とそれによる低価格化があげられます。
木版画は、「絵師」(えし)、「彫師」(ほりし)、「摺師」(すりし)が分業して制作しました。絵師には、才能あふれる絵心が必要。彫師は、絵師が描いた版下絵を版木に貼って、これに合わせて忠実に彫る技術が必要。摺師は彫師が彫った墨版と色版を受け取り、慎重に紙に摺り、完成させます。
木版画は、最初に絵師が立ち会い、摺師が試し刷りを行ないます。まず200枚刷った物が「初摺」(しょずり)です。追加して摺るのが「後摺」(あとずり)です。後摺には絵師が立ち会わず、版木も劣化するため、初摺よりも質が落ちるようです。
肉筆画とは、絵師が自分の手筆で直に描いた、この世に1枚しかない浮世絵のことです。肉筆画はとても高価で、富裕層が絵師に注文して制作するのが基本だったのです。肉筆画を描くことができる絵師は社会的な地位が高かったと言えます。
まとめ
浮世絵の表現技法は、大きく肉筆画と木版画のふたつがあります。江戸時代にも肉筆画は高価な美術品で裕福な人にしか入手できませんが、木版画は庶民にも求めやすい雑誌みたいな存在でした。
木版画にも、まず200枚刷った物が「初摺」(しょずり)と、追加して摺るの「後摺」(あとずり)があり、質が異なります。
木版画には「絵師」(えし)、「彫師」(ほりし)、「摺師」(すりし)が分業して制作しており、それぞれの術者の力により木版画が制作されていました。
宮台真司さんがおっしゃるように、凸と凹の噛み合い、各自が全能力の上昇に勤しむのではなく、凸と凹の噛み合いで集団生産性を上げる生存戦略のようですね。
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