もくじ
はじめに
1890年代のポスター版画に共通するのが、日本の浮世絵の影響です。
19世紀末のパリでは、浮世絵、陶器など日本の美術品が数多くヨーロッパに渡り、芸術家たちに大きな影響を与えていました。
その代表格として知られているのがゴッホ、モネ、ゴーギャンなどの印象派です。印象派の画家たちの影響を受けて創立されたナビ派も同じく、ジャポニズムの影響を受けています。
ロートレックのポスターには浮世絵の影響が大きいです。平面の絵、平塗り、縦長の支持体、線画。鮮やかな色彩。
一枚きりの絵画と異なり、リトグラフにより沢山の人がポスターを目にすることになりました。アート好きだけでは無く、一般庶民が楽しむ。ポスターには庶民が楽しめる芸術という側面があると考えます。
アルフォンス・ミュシャ
アール・ヌーヴォーを代表する画家で、多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作しました。
1894年女優サラ・ベルナールのために描いたポスター「ジスモンダ」で一躍脚光を浴びます。
ミュシャのポスターは 「美しい女性」 で注意をひきつけ、ポーズやしぐさなどのデザインテクニックでたくみに目を誘導する印象的で魅力的なものです。絵に目を奪われているといつのまにか文字情報を記憶してしまいます。
ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念とする優美な女性像、曲線を多用したデザイン、アラベスク文様での装飾が特徴です。
世界中の多くの人々に愛されており、日本では画家・漫画家にも影響を与えています。
私には、美しい線、穏やかな色彩、さやしい雰囲気が魅力的です。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
1864年南仏のアルビで生まれる。カラフルな色彩が特徴で、後期印象派の代表的な作家。
人物の内面や社会的内情を観察し、厭世的・退廃的空気に覆われたパリの歓楽街で生活する人々を的確に捉えて描いた。
ポスターのデザインに天賦の才を発揮したロートレック。私には、柔らかな線のイラスト、動きを感じる構図、味のある手描きのレタリングが印象的です。
1889年に開店した華やかなダンスホール「ムーラン・ルージュ」にロートレックも常連客となる。その店主に依頼されて作ったリトグラフ(石版画)がポスター画家としての始まりです。
1860年代から西欧でジャポニズムが人気を集め、ロートレックも日本美術の展覧会に足繁く通って日本人形や浮世絵を収集しました。
浮世絵の役者絵のように太くて単純化された輪郭線、平塗りで均一な色ぬりで浮かび上がる絵に日本美術の影響が見られます。
オーブリー・ビアズリー
ビアズリーは、オスカー・ワイルドやホイッスラーを含めた耽美主義の中心的な芸術家の一人です。
彼のイラストは、美学、退廃、象徴、そして繊細に絡み合った形やアラベスクのような曲線のようアールヌーボーの特徴を取り入れています。
黒色のドローイング作品は、日本の浮世絵からの影響が大きく、退廃性、エロティシズムを強調した表現となっている。グロテスクやタブーはヴィクトリア朝の観客に衝撃を与えました。
1892年から、ビアズリーの作品にはホイッスラーの近代性と日本美術の影響が色濃く現れ始めます。
ビアズリーはパリに旅行し、そこでアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックのポスターアートと日本の浮世絵の流行を見て影響を受けました。
また、帰ってくる波のように、その後に日本でも多くの絵画・漫画でビアズリーの影響が見られます。
ビアズリーの作品はアートと広告は相反するものではないという認識を広めました。
彼の劇場用ポスターは、彼の理論を具現化しました。
ビアズリーのブロックプリントは、作品を容易に複製し、広く普及させることができました。
彼はイギリスの出版社で当時最も影響力のあるドラフトマンとなりました。
アール・ヌーヴォー
自然界をモチーフとした曲線的なデザインが特徴です。 花やツタなど植物を模したものや曲線的な装飾が特徴。
ドラフトマン
図面の作成作業を専門とする人。 おもに基本設計以降の各種詳細図などを描く
ブロックプリント
手彫りで繊細な模様が施された木版を、スタンプのように繰り返し生地に押すことでリピートする模様が染められる。時折色ムラやかすれなど機械プリントでは味わえない素朴さとぬくもりを感じられる。
ピエール・ボナール
室内など生活に身近な題材を数多く描いたことから、アンティミスト(親密派)とも呼ばれています。
1890年、ボナールはエコール・デ・ボザールで開催された日本美術展を見て感銘を受けます。
この頃のボナールは、フランス-シャンパン社のポスターデザインを多く手がけました。ポスターや本の挿絵、版画の作家としても知られるようになり、舞台美術も手がけています。
私には、ピエール・ボナールのポスターは、飛び出してきたり、溢れ出しそうな動きの印象を受けます。
ボナールの絵の平面的、装飾的な構成にはセザンヌの影響と共に日本絵画の影響が見られます。
ナビ派の中でも「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ)の異名を取るほど、浮世絵などの影響を強く受けたボナールの作品は、遠近法を取り入れない、平面的で奥行きのない構図が大きな特徴で、彼はこの画風を晩年まで貫きました。
一部の作品の極端に縦長の画面は東洋の掛軸の影響。縦長4枚のパネルに描いた作品「庭園の女たち(1891)」は屏風絵の影響が見られます。
テオフィル・アレクサンドル・スタンラン
フランスのアール・ヌーヴォー画家、版画家。絵に多く見られるモチーフは、彼が大好きだった猫で少女と一緒に描かれる事が多い。後に猫の彫刻を作った。スタイリッシュで魅力的な猫と、金髪で赤い服の少女。
20代前半、1881年フランソワ・ボションに新妻ともども励まされて、パリ、モンマルトルの芸術家コミュニティに移った。
アドルフ・ウィレットはスタンランをキャバレー「ル・シャ・ノワール(黒猫)」の芸術家の集まりに誘った。
キャバレーのオーナー兼エンターテイナーのアリスティッド・ブリュアンや、歌手や芸人、他の企業のためのポスターの依頼を受けるようになった。
スタンランはモンマルトルを終の家とした。その郊外は一生を通じてスタンランが好んだテーマで、その地域の厳しい生活をいくつか描いた。
1883年から1920年の間に膨大な数のイラストレーションの中に政治的問題を扱った作品もある。
おわりに
江戸時代の後期から明治維新にかけて浮世絵が大量にヨーロッパに渡り、これが芸術家たちに衝撃を与えました。浮世絵というプリント・アートは他のアジア諸国には見られない日本独特のユニークな木版画でした。
美術雑誌『芸術の日本』の編者であるサミュエル・ビングは、1895年末「Art nouveau」(新しい芸術)と名づけられた、日本美術などを扱う画廊を、パリのプロヴァンス街に開店します。これがアール・ヌーヴォーの先駆けとなりました。
浮世絵は、アールヌーボーのアーティストたちに影響を与えました。独特な構図や色彩、平面的、曲線や植物的なモチーフ、非対称的な構図などです。
寄せては返す波のようにアールヌーボーは日本の画家や漫画家にも影響を与えました。憧れが創作を促し、影響を受けて創作された物が強い魅力を放つようです。
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