もくじ
はじめに
ヒプノシスはイギリスのデザイン集団です。メンバーはストーム・エルビン・トーガソン 、オーブリー・パウエル 、ピーター・クリストファーソン の3人です。
CDをジャケ買いしたことはありますか?棚に並ぶCDのジャケットが気になり、足をとめ、しばらく眺めたあとに購入する。ヒプノシスはまだCDではなくレコード頃に活躍しました。12cm角のCDより大きな31cm角のレコードジャケットは、異世界への小窓のように、持ち主の生活空間に圧倒的に存在しています。
ヒプノシスは魅惑的なレコードジャケットをデザインしました。購買意欲を刺激された人々はそれをジャケ買いをしました。タイトルもアーティスト名も無いのに、ヒプノシスによって音楽の世界をデザインに翻訳された音楽を見てしまって、あるいはデザインから音楽を聴いてしまって。
ヒプノシスについて
ヒプノシス(Hipgnosis、1968年 – 1983年)は、イギリスのロンドンを拠点とする英国のアートデザイングループです。
メンバーは、ストーム・トーガーソンとオーブリー・パウエル、そしてピーター・クリストファーソンです。
ヒプノシスは、1960年代終わり頃のイギリスに誕生し、レコード・ジャケットに革命を起こしました。
1968年、出版物などのデザインを手がけていたトーガーソンとパウエルにピンク・フロイドの友人ロジャー・ウォーターズから、グループのセカンド・アルバム『神秘』(『A Saucerful of Secrets』)のジャケットをデザインするよう依頼され、EMIのさらなる仕事へとつながります。
1970年代を中心に「ピンク・フロイド」「ジェネシス」「レッド・ツェッペリン」など数々のアーティストのカバーアートを創作しました。イギリス本国のアーティスト以外にも、松任谷由実『昨晩お会いしましょう』など、さまざまな国のアーティストのアルバム・ジャケットを手がけています。
音楽界において、アルバム・ジャケットに芸術性を持たせ、タイトルの無いジャケット、バンド名の無いジャケット。画像ソフトなど無い時代にモンタージュやレタッチを駆使してジャケットをアートの分野まで引き上げました。
彼らの手がけた作品はレコード購買意欲を高め、「ジャケ買い」という言葉を生みました。
ヒプノシスは、1973年にピンク・フロイドの「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」のカバーデザインで国際的に有名になりました。
レッド・ツェッペリン、ジェネシス、UFO、ブラック・サバス、ピーター・ガブリエル、アラン・パーソンズ・プロジェクト、イエスなどの知名度の高いバンドやアーティストのカバーを数多く手がけました。
SF作家ダグラス・アダムズの『銀河ヒッチハイク・ガイド』のイギリス・ペーパーバックの表紙など本のジャケットもデザインしました。
ヒプノシスのスタイル
パウエルとソーガーソンは、アパートのドアに見つけた落書きからヒプノシスの名前を決めました。
ヒプノシスはアルバム・ジャケットのデザイン料を投げ銭にしたため時折裏目に出た。
ヒプノシスは、主にハッセルブラッドの中判カメラを仕事に使います。
ソーガーソンとパウエルのシュールで精巧に加工された写真の技術(暗室のトリック、多重露光、エアブラシのレタッチ、機械的なカット&ペースト)は、多くの革新的なビジュアルとパッケージング技術の使用を開拓しました。
ヒプノシスのカヴァーは、ピンク・フロイドの『A Nice Pair』のジャケットのように風変わりなユーモアで有名で、視覚的なダジャレや二重の意味を描写しています。
クリケット選手とボールの写真を使ったアルバム『There’s the Rub for Wishbone Ash』ではレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジを怒らせました。
パウエルもソーガーソンも映画の学生だったので、しばしばモデルを使い、演劇的な方法で写真を演出した。
卒業するまではロイヤル・カレッジ・オブ・アートの暗室を使いました。
ヒプノシスの表紙の多くは、ペンとインクのロゴや、ハイテクに見えるようにデザインされたイラスト(多くがグラフィックデザイナーのジョージ・ハーディーによる)、ステッカー、派手なインナースリーブ、その他のパッケージボーナスを特徴としていました。
レッド・ツェッペリンのLP『In Through the Out Door』のインナー・スリーブ(レコードを保護する内袋)は、白黒だったが、水で湿らせるとカラーに変わる(メイン・ジャケットの写真のテーマと結びついている)。
ストーム・エルビン・トーガソン
ストーム・エルビン・トーガソン(Storm Elvin Thorgerson, 1944年2月28日 – 2013年4月18日)は、イングランド出身のアートデザイナー、グラフィックデザイナー。
1970年の『原子心母』(「Atom Heart Mother」)の「牛」のジャケットにはアルバム・タイトルもアーティスト名も表記されていない。周囲は難色を示したが、結果的に全英1位を記録する。
イマジネーションに溢れた創造的な作風が特徴。
「見る者に考えさせる」ということも、ひとつのコンセプトである。
矛盾や対比といった「二面性」も主要なテーマになっている。
マン・レイ、マグリット、ピカソ、カンディンスキー、フアン・グリス、アンセル・アダムスなどのアーティストや写真家に影響を受ける。
彼は自分自身を音楽というオーディオイベントをジャケットという視覚的なイベントに翻訳する、一種の翻訳者だと捉えている。
ピンク・フロイドとの仕事は、いつもトーガーソンにさらなるインスピレーションを与えた。
グループの大ヒット作、狂気(『Dark Side of the Moon』(1973年))のプリズムデザインは、三角形のアイコンの左右で虹と白い虹に分かれており現実とそうではない世界を表しているようだ。
『Wish You Were Here』(『炎(あなたがここにいてほしい)』)(1975年)で燃え盛るビジネスマンを撮影した。
『A Momentary Lapse of Reason』(鬱)(1987年)の表紙で、700の病床を丹念に浜辺に延々と並べた。
オーブリー・パウエル
オーブリー・パウエル(Aubrey Powell, 1946年9月23日 – )は、イングランド出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、映像プロデューサー。アート集団ヒプノシスの元メンバー
1965年、ロンドンでニック・ペンバートンのアシスタント・シーニック・デザイナーとしての仕事を確保し、テレビシリーズ『Z-Cars』などのセットを制作した。
彼はストーム・ソーガーソンとアパートをシェアし、そこでヒプノシスのアイデアを思いつく。
1967年、ストーム・トーガソンとオーブリー・パウエルがデザイン・チーム、ヒプノシス(Hipgnosis)を共同設立。ロンドンを拠点に活動を始める。
ソーホーのデンマーク・ストリート6番地にスタジオを買収し、ヒプノシスは当時最も有名な写真デザイン会社の1つとして繁栄する。
1982年まで15年間運営され、ピンク・フロイドをはじめ、1960年代〜1980年代の最も評価の高いレコードカバーアートのいくつかを作成しました。
1980年代初頭までに、ヒプノシスは広告に多角化し、プジョーからビートルズのキャンペーンデザインおよびプロデュースをする。
1980年代からミュージック・ビデオなどの映像分野が顕著になる。1982年に映像会社「グリーンバック・フィルムズ」を設立する。
ロバート・プラントの「Big Log」、ポール・ヤングの「Wherever I Lay My Hat」、イエスの「Owner of a Lonely Heart」、デヴィッド・ギルモアの「Blue Light」のミュージックビデオを撮影しました。
アル・コーリー主演の『チャンネルQ事件』(ソニー)、松任谷由美主演の『Train of Thought』(東芝EMI)、マイケル・ホーダーンとバリー・ギブ主演の『Now Voyager』(ユニバーサル)の3本の長編映画の脚本、製作、監督を務めました。
グリーンバック・フィルムズは1984年に閉鎖された。
1985年にピーター・クリストファーソンとプロデューサーのフィズ・オリバーと共にオーブリー・パウエル・プロダクションズを設立。
プロデューサー、脚本家をこなし、ミュージックビデオ、長編音楽映画、テレビコマーシャルを撮影する。
1989年、パウエルはポール・マッカートニー・ワールド・ツアーのクリエイティブ・ディレクターに就任し、ステージセット、ビデオウォール、撮影映像をデザインした。
リチャード・レスターと『Get Back』を共同監督する。
ポール・マッカートニーの1993年の『The New World Tour』でビジュアル・ステージングをデザインする。
フォックス・ネットワークでマッカートニーの『Live in the New World』コンサートを監督し、ケーブルACE賞を受賞し、モントルーのゴールデン・ローズ賞にノミネートされた。
1994年にHipgnosis Ltdを設立。ドキュメンタリー、マルチカメラのライブ撮影、企業映画の監督を務める。
2012年『The Bull Runners of Pamplona』がニュージャージー映画祭で2012年の最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。
ディヴィジョン・ベルの20周年記念ボックスセットでピンク・フロイドのジャケットをデザインし、最後のアルバム『エンドレス・リバー』のアートワークを監督し、デヴィッド・ギルモアのソロ・アルバム『Rattle That Lock』のカバーを監督する。
ピンク・フロイドの1989年のコンサート・フィルム『Delicate Sound of Thunder』の2019年のリイシュー版を編集する。
ピーター・クリストファーソン
ピーター・クリストファーソン(Peter Christopherson、1955年2月27日 – 2010年11月24日)は、アーティスト。ビデオ・ディレクター、グラフィック・デザイナーであり、ヒプノシスの元メンバー。ミュージシャン。
インダストリアル・ミュージックの先駆者で、スロッビング・グリッスルの元メンバー
インダストリアル
電子音楽の一種である。1970年代後半にノイズミュージックから派生して誕生した。
ニューヨーク州立大学バッファロー校で舞台デザイン、ビデオ制作について学んだ。
1974年にヒプノシスのデザイナーとなる。アシスタントとしてヒプノシスに入社し、後にフルパートナーになる。
英国のファッションレーベルBOYロンドンのロゴをデザインする。
1975年スロッビング・グリッスルを結成し、テープ操作を担当する。
1981年の解散後、ジェネシス・P・オリッジと共に、ビデオ・プロダクションと音楽の融合をこころみる。
サイキックTVを結成する。
ヒプノシスを1983年に解散。
コイルに参加しマーク・アーモンドをはじめ様々なアーティストたちとコラボレーション作品をつくる。
デレク・ジャーマンの映画のサウンドトラックをはじめ多くの作品とライブ・レコーディングを作成。
タイに移住する。
スレッショルド・ハウスボーイズ・クワイア名義で東南アジアの民族音楽的リズムや変調ソフトによるボーカルをとりいれたソロ活動を行う。
イヴァン・パブロフ(COH)と共に、ソイソング(SoiSong)を結成する。
ヒプノシスのワークス
松任谷由実「VOYARGER」
金属的、空に落ちたビル街を泳ぐ女性
PINK FLOYD「Delicate Sound of Thunder」
荒野、汗のように電球を体に纏った男 鳥の舞う中に立つスーツの男
BAD COMPANY「Bad Company」
黒地に太く白い文字でBAD CO
LED ZEPPELIN「聖なる館」
赤い空の下、大きな石の積まれた山を登る数人の少女
PINK FLOYD「ウマグマ」
逆光になった室内と晴れた庭 壁の絵と似た配置の人々、同じようで違っている
PRETTY THINGS / SAVAGE EYE
眼球を大きく露出させるように下瞼を開く赤いマニキュアの指
PINK FLOYD – THE LATER YEARS BOX SET IMAGE
旭日か斜陽の中を歩いていく女性
女性の歩いた跡で曲がりくねった街灯、ひび割れたアスファルト
GODLEY AND CREME – FREEZE FRAME
タイル張りの浴室
ホルスタインのようなシミのある男女 段差に座る女としゃがんだ男
MEDDLE – PINK FLOYD
ターコイズブルーの水明 赤黒く染まる水面 数個の波紋 曲線を持つ赤い物体と漆黒の穴
ATOM HEART MOTHER – PINK FLOYD
水色の空、牧草に立つ惑星的な存在感のある牛
おわりに
ヒプノシスはデジタル技術が発達していない時代、アナログの技術で多彩な表現をしました。現実なのに奇妙に見える写真。デジタルに見えてアナログのペイントを使用していました。アイコンで現実の光の世界と遥かな闇を表現しました。
ヒプノシスは作品で音楽の内容を翻訳して表現しました。視覚的に二重の意味をもたせたり、ダジャレにすることもありました。そのため、クリケット選手がズボンの前で赤い玉を握っている『There’s the Rub for Wishbone Ash』ではレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジを怒らせました。
ヒプノシス解散後、オーブリー・パウエルはステージデザインやCM、ドキュメンタリー、映画を制作しました。
ピーター・クリストファーソンはビデオと音楽の融合を試みたり、様々なアーティストたちとコラボレーションして作品を作ったり、映画のサウンドトラックやライブ・レコーディングを作成しました。
トーガソンはピンク・フロイドのプロジェクトに携わり続ける一方で、21世紀のプログレッシブ・ロッカー、多くのアーティストのアルバム・アートワークをデザインしました。
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